子育て今昔

2年前、待ちに待った初孫が誕生しました。不妊治療に通うも、なかなかうまくいかず、半ば諦めていた娘が妊娠、そして孫が誕生し、とても嬉しかったです。初めて目にした孫は小さく愛らしくて、「目に入れても痛くない」というのはこういう事を言うのかと実感しました。何故か私が抱くとすぐ眠り、娘も私の訪問を喜んでくれたので、ほいほいと出かけて行きましたが、そんな頃が懐かしいほど、あっという間に、「乳児」から「幼児」に成長しました。

娘は孫が10か月で仕事に復帰し、保育所に入れることも検討したようですが、「まだ小さいので預けるのは可哀そう。」と、祖母の私が世話をすることになりました。私が若い時の子育てと言えば、自分の子どもは預け、ひたすら仕事をしていたので、孫との毎日は第二の子育てという感じで、新鮮で、ゆったりと幸せを感じながら過ごしました。1歳になるまでは育児時間がとれるとのことで、娘も早目に帰宅し、孫は情緒的にも安定し、健やかに育っていきました。

私が子育てをしていた昭和の時代は「子どもは3歳までは、家で母親が育てる」というのが一般的で、正規にフルで働く女性は少なかったです。育児休暇も1年までしかなく、復帰した後はみんなと同じように勤務しました。子どもの通院、学校行事等で休みを取るのは主に母親で、休むことが多い分、仕事ではひけをとらないようにと、無我夢中で過ごしてきました。仕事をするには、出産、育児は女性にとってハンディと感じたこともありました。今思うと、わが子を後回しにし、犠牲にしてきたと、子ども達には申し訳なく思っています。でも、 令和の今の時代は、育児も家事も、夫婦で分担し協力していて、「時代は進化した」と嬉しく思います。孫と通う支援センターでもイクメンの素敵なパパに会うと、嬉しくてそばに寄って行ってしまいます。

孫が成長して歩き出すようになると、家の中では「触っちゃダメ」「危ないからダメ」と規制することが多くなり、公園に連れて行けば小さな子は誰もおらず、すぐに戻って来ることが多くなりました。そんな時、娘に「支援センター」を教えられ、通うようになりました。昔には無かった施設で、たくさんの玩具や遊具が広いスペースに置かれたくさん遊べますし、保育士さんが常駐し、子どもやお母さん方に声をかけてくれます。それぞれのセンターには特徴があり、孫と一緒に楽しく過ごすことができ、あちらこちらへと通いました。最近の玩具は凝っていて、どうやって遊ぶのかと、孫をそっちのけで夢中になったり、家にない玩具に孫が興味を持っているのを見て、「クリスマスプレゼントに良いかな。」と思ったりしました。子どもの成長や子育てに悩みを持つ人は、保育士さんが近くに居るので相談しやすいでしょうし、何より私は、家で一番の「お姫様」扱いされている孫が、他の友達と玩具の取り合いをしたり、譲ったりするのはとても大事なコミュニケーションの場であることを感じました。子育て中の親子にとって、大切な場所になっていることと思います。

子どもの成長は素晴らしく、人生たった2年ちょっとしか生きていないのに、たくさんの言葉を覚え、しっかりと使いこなしています。知恵もつき、驚かされることも多くあります。孫が本を持ってきて、「読んで。」というので読んでいると、終わり近くで、「もう、読まなくていい。」と言います。不思議に思い後で本を見てみると、最後のページがクレヨンで汚れていました。そのことをとがめられると思い、途中で読むのを止めさせたのでしょう。いつの間にそんな事を考えられるようになったのかと、頭の中を覗いてみたいものだと思いました。

孫が家に来る日は、夫はお風呂に入り髭をそり、パジャマから素早く洋服に着替えます。そういう私も、孫と支援センターに出かける日は、顔を洗い軽くお化粧をし、着ていく服を選びます。会話や笑いが少ない高齢者夫婦の生活が孫によって明るく、活気にあふれます。子どもは周囲を笑顔にする天使です。これからも世界中の子ども達が笑顔で過ごし、みんなで子ども達の成長を見守り、支えていけるような世の中にしたいと、第二の子育ての中で強く感じています。

2歳の子の祖母

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