絵本専門士のえほんのはなし。~その9「昔話絵本」ってなんだろう~
みなさん、こんにちは。絵本専門士の水野有子です。今回は、「昔話絵本」についてのおはなしです。
みなさんは「昔話は絵本にするべきではない」という主張があるのをご存じでしょうか。昔話とは本来、唄や語りによって伝承される口承文芸です。耳で聞くことで各々が心の中に形成する抽象的かつ象徴的なイメージに絵をつけてしまうと、画家による具体的かつ現象的なイメージに制限されてしまい、昔話が本来持つ意味が失われてしまうという考えです。
確かに絵の印象というのは、長く記憶にとどまることが多いように思います。保育士養成課程で学ぶ学生が幼児期ぶりに絵本を手にしたとき、「この絵見たことある!内容は覚えてないけど」と口にすることが多いのも事実。ただ、私自身の体験を顧みたとき、その絵本を読み返すことで当時の記憶が呼び起されることがあります。たとえば、昔話でよく使われる結びのことば「とっぺんぱらりのぷう」が大好きだったこと。当時は「めでたしめでたし」や「おしまい」という意味だとは知りませんでしたが、その響きに感じた面白みや不可思議さが、おはなしとともに立ち上がってくるようでした。
さて昔話といえば、時代によって手が加えられることについての是非がたびたび話題になります。桃太郎が突如鬼ヶ島へ押し入り宝を持ち帰るのは横暴すぎないか。『オオカミと七ひきの子やぎ』で母ヤギが狼の腹を切り、石を詰めて縫う描写は残酷ではないか。たいていは主人公側(正義)の悪者への行為について問われるという点がなんとも不思議です。
昔話を扱う絵本においても幼児への配慮や道徳的側面からさまざまな意見が挙げられますが、ここで大きなポイントとなるのは、それらが「絵本で語られる」という点です。
たとえばこういった話題で筆頭となることの多い『かちかちやま』(おざわとしお 再話、赤羽末吉 画、福音館書店、1988年)。兎が悪さをした狸に罰を与えるという構図を思い浮かべる方が多いと思いますが、実は前半部、狸を殺して狸汁にしようとしたおばあさんが、返り討ちにあい婆汁にされてしまいます。もしこれが実写であれば見るに堪えない映像であろうと思いますが、昔話だからこそ実態を抜いて語られるという点に加え、絵本だからこそリアルな場面(撲殺や解体のシーン)を描かないという選択ができるのです。実際この絵本では、狸が杵を振り上げる描写と、おばあさんの服を着ている描写のみでおはなしは進みます。おばあさんが倒れていたり、血を流したりといった描写は一切ありません。子どもたちにトラウマを植えつけるような直接的な描写を避けながら、自然の摂理や命をいただくことの意味を問う秀逸な作品です。
昔話絵本の残酷な部分は、削除あるいは書き換えられるべきでしょうか。考え方はそれぞれですが、ひとつ確実に言えるのは、私たちが昔話絵本から受け取るのは残酷性ではなく、生きるうえでの根本的な教えであるということです。悪いことをすれば報いを受ける、人に優しくすると自分に返ってくる、努力することで成し遂げられる…。幼いころから心に根づかせたい大切なテーマばかりです。
次回のテーマは最終回【あらためて、「絵本」ってなんだろう】です。お楽しみに!