絵本専門士のえほんのはなし。~その6「読み聞かせ」ってなんだろう~
みなさん、こんにちは。絵本専門士の水野有子です。今回は「読み聞かせ」について、少しアカデミックなおはなしです。
「読み聞かせ」という文言は、1896年に児童文学者の巖谷小波氏が小学校で行った口演童話がルーツとも言われていますが、明確なところはわかっていません。
1942年には、同じく児童文学者で童話作家でもある上澤謙二氏が、自著『赤ちゃんばなし:母のため』(厚生閣)のなかで「読み聞かせばなし」という文言を使用しています(当時一般的だった、母親が幼児に話して聞かせる「幼児ばなし」(口承)と未就園児へのおはなしを識別化するため、この書名にしたそうです)。「読み聞かせばなし」は、記憶に頼るがゆえあいまいになりがちな口承と違い、絵本など原典を用いて聞かせるので、物語をそのままの表現で伝えることができると述べられています。やや教育的な要素が強い本ではありますが、おとなが読んで聞かせながら赤ちゃんとコミュニケーションを図り、ともに本を見ることが大切とする点は、現代にも通じるのではないでしょうか。
1962年には「読書を導くもの:「読みきかせ」と子どもの反応」(岡田文男、学校図書館、141号、pp.28-30)という寄稿、1967年刊の『3歳から6歳までの絵本と童話』(鳥越信・森久保仙太郎 著、誠文堂新光社)には「最近、文学教育運動の一環として“読み聞かせ”が盛んになってきた」との記述があります。少なくとも1960年代には、「読み聞かせる」という複合動詞から「読み聞かせ」という名詞が派生し、広く使われていたようです。
他方、「聞かせる」ということばは、「聞きなさい」という強要や「聞かせてあげる」という“上から目線”に感じるから、別の表現にするべきだという意見があります。「読み語り」「開き読み」「語り聞かせ」「読み合い」など現在もさまざまな呼称がありますが、「読み手が本を見せながら音読し、聞き手とその物語を共有する」という行為としての差異はそれほどありません。「読み聞かせ」の〈聞かせ〉は確かに使役表現ですが、この場合は強要や指示のニュアンスを含みません。「子どもに好きな絵本を〈選ばせる〉」といっても“無理やりさせている”と感じないのと同じこと。聞き手に「おとなしく座って聞いていなさい」と強制でもしない限り、絵本をともに楽しむ空間において「(無理やり)聞かされている」という感情は発生しにくいのではないでしょうか。なによりまずは、そんな感情が発生する余地もないくらい楽しい空間にすることを目指す姿勢が大切だと思います。
日本を代表する絵本編集者・松居直氏は、「絵本は子どもに読ませる本ではなく、おとなが子どもに読んであげる本」であるといいます。心のこもった豊かなことばを耳から聞くことが大切な幼児期において、楽しみを心いっぱい感じるものである絵本を、文字や名称を教える“教材”にしてはならない、と。
絵本は人生で最初に触れる文化であり、文学であり、芸術でもあります。そんな〈世界への入口〉を、子どもにとって近しい人の声で、その人のことばとして耳に入れる。そういう言語体験を大切にしていきたいものです。
次回のテーマは【「赤ちゃん絵本」ってなんだろう】です。お楽しみに!