絵本専門士のえほんのはなし。~その4 おとなが絵本を読むことについて~
みなさん、こんにちは。絵本専門士の水野有子です。今回は、前回のコラムを踏まえての「おとなが絵本を読むことについて」のおはなしです。
前回のコラムでは、絵本を「子ども」「おとな」で割り振る必要がないと書きました。その上で、なぜ絵本をおとなにも勧めたいのかをもう少し詳しくお伝えしたいと思います。
1999年、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が、寄稿「いま、大人が読むべき絵本」(文藝春秋、77巻10号、pp.316-329、1999年)のなかで、「絵本は人生に三度」と提唱しました。自分が幼いとき、親となって子どもを育てるとき、そして人生後半、再び自分のために。さまざまな経験を重ねたおとながすぐれた絵本の深い語りかけに触れるのは、その人の内面的な成熟に結びつく営みである、と柳田氏は言います。
例えば、柳田氏が翻訳した『だいじょうぶだよ、ゾウさん』(ローレンス・ブルビニョン 作、ヴァレリー・ダール 絵、柳田邦男 訳、文溪堂、2005年)。近いうちに橋の向こうの「ゾウの国」へ旅立たなければならないことを悟っている年老いたゾウと、悲しいけれど見送る決心をする若いネズミのおはなしです。示唆されるのは死出へ向かう者と看取る者。読者は自身の年齢や境遇と照らし合わせながら、ゾウやネズミに自分を重ねるでしょう。
そしてもう一冊紹介したいのが、『おじいちゃんのたびじたく』(ソ・ヨン 文・絵、斎藤真理子 訳、小峰書店、2021年)。ある日現れた白く透き通った「おきゃくさま」(=旅の案内人)の来訪を喜び、先に旅立った妻や友人のもとへ向かうため嬉々として仕度するというおはなしです。残していく家族に少しだけ申し訳なさを感じつつ、もうすぐ大好きな人たちに会える嬉しさでいっぱいのおじいちゃん。誰にでも訪れる「旅立ち」を優しく描いた絵本です。
共通するのは死を受け容れる姿勢。プロセスは異なりますが、どちらの絵本にも、旅立つ人、見送る人それぞれがお互いを思いやり、幸せを願う様子が描かれています。こういった絵本に触れることで、おとなも子どもも、死そのものに対する漠然とした不安がやわらぐのを感じるでしょう。
ここから見えてくるのは、例えば「身近な人とのお別れ」といった難しい事柄について、絵本はおとなと子どもが感情を共有するために極めて有効なメディアだということです。子どもは死という概念がまだ薄いから、悲しみもおとなほど深くない。そんな思い込みから、悲しみをうまく表現できない子どもの気持ちを見過ごしてはいないでしょうか。さまざまなしがらみから、悲しみを内面化できないまま過ごしているおとなもいるのではないでしょうか。悲しみを共有し、ともに大切な人の死を受け止める。亡き人の心を受け継ぎ、よりよく生きようとする。そんなとき、そっと寄り添ってくれる絵本があります。
重複になりますが、絵本は子どもたちのためにことばや絵の余分を削ぎ落としたもの。それが普遍的に心の深層に響くからこそ、あらゆる世代が共有できるのです。
次回のテーマは【「絵を読む」ってなんだろう】です。お楽しみに!